60代で亡くなった母におもうこと

2025年は私にとってとてもつらい年になってしまいました。それまで健康が取り柄だった母があっという間に亡くなったのです。

以下に亡くなるまでのことをつらつらと書きます。家族のグループLINEをもとに書いているので時系列的に変な箇所があるかもしれませんが大目にみてくださいね。

本人いわく異変に気づいたのは2024年の夏。下腹部が腫れているような違和感があったそう。9月に父の誕生日があり、毎年恒例の娘家族と旅行が控えていたので秋まで待ち、イベントが落ち着いてから病院へ。

結果卵巣が腫れているとの診断で隣の市の大きな病院を紹介された。MRI検査で卵巣に腫瘍があり、その他にも何かが映り込んでいるので産科以外にも腎臓内科や泌尿器科も巻き込んでの治療となった。

その後腎臓の下にある腫瘍が血管を巻き込んでるので詳しい検査をするための組織取りもできず、同じ市にある大学病院に転院することに。

大学病院も患者が多いのか11月にやっと初診。その間だんだんお腹の違和感が大きくなり、重い荷物を持つと痛みが出るようになった母。それでも毎日家族で作っているグループLINEは欠かさず割と元気だなぁなんてそのときは安心していました。

痛みがありながらも娘のおゆうぎ会、甥っ子の誕生日会など楽しく過ごし…ようやく大学病院でPET検査。光っているところが何箇所かある、取れるところは取って尿管にへばりついるものは抗癌剤で小さくしようとの方針。良性みたいだよとの連絡に家族もほっとしていた。

その後年末年始ごろから痛みがひどくなり、痛み止めを飲みすぎているせいか食欲が落ち始めた。最後は水を飲んでも吐く状態。大学病院に必死に連絡して1月27日から入院のところ10日から入院することに。

21日にようやく手術。すでにたくさん転移していて取り切れないとすぐに終わったそう。

その前の検査で穿刺部分の出血がひどくて輸血したり腎瘻の管を抜いたときも出血して輸血したりと散々な目にあい、すっかり気力をなくす母。

数日後母も含めてドクターと家族で話し合い、結局治療はせず痛みを取りながらホスピスで余生を過ごすと決めた。

もちろん家族は治療をすすめた。まだ67歳。風邪だって数年に1度引くかどうか、他に病気もない母があっという間に死ぬなんて信じられないし信じたくない。でも母は限界だったようだ。医師もよっぽど治そうという強い意志が無いととてもつらい治療だからと言っていた。

何も治療していないのだから当然だがどんどん弱っていく。ホスピスも実家の近くで良さそうなところを見つけたが、希望者が多く1ヶ月くらいで入れるかどうかと言われた。

じゃあ他も探すかな…と言ってネットで見ているうちに意思疎通も難しくなり、尿が出なくなってしまった。

そして2月12日。67歳で母は死んだ。入院して1ヶ月ちょっと。下腹部の違和感から半年ちょっとだった。

医師の話では母の病気は「尿路上皮がん疑い」。病理の先生などとも話し合ったがどこが原発なのかは結局分からないとのことだった。

最初に大学病院に入院しておけば、違和感に気づいた夏にすぐ病院に行っていれば、がんセンターなど他に診てくれるところを探せばよかった…たらればばかり出てくる。

母は節約家だった。66歳まで本当に健康だったし、母の母(私の祖母)もまだ大きな病気もせず元気に生きている。本人も80、90歳まで生きるつもりだったのだろう。

でも結局行きたいと行っていた温泉旅館にも行けなかった。父とわずかな貯金を残して死んでしまった。お金はあの世には持っていけないのだ。

この出来事は私の世界を大きく変えました。それまでは子供の教育資金、自分たちの老後資金を考えて生きていたけど、自分が80歳まで生きる保証なんてどこにもないんですよね。

今はあまり未来のためのお金は考えず、娘や甥っ子たち、残された父や祖母との思い出作りにお金を使っています。

娘の教育資金だけは確保しておくけれど、老後は体が動くうちは働けば良いかなぁとも思うようになりました。

節約家の母からすれば「もう少し未来の自分のことも考えなさい」と言いたくなるかもしれないけど…優しい母ならきっと許してくれると思います。

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